朝は自宅学習とおもってテキストと言われた本を読んでいた。
日差しの入る温かな二階のすのこ状の通路で窓の桟に背中をもたらせて本を読んだ。
すのこ状になった木は叩くとちょっとインドネシアの楽器のようなポコ、ポコという音を立てるものだらからその音が楽しくて叩きながら読んだ。
場所によって音程に差があるものだからなんだかそれだけでインドネシアのどこか島に来ているような気持ちになる。叩きながら読んだ。
本を一通り、なぜか後ろから読み出して前の方にもどっていった。せっかくこんなに暖かいのだからここに娘の布団を干そう、ふかふかにしよう、と敷いてその上で読んだ。そしたら案の定、眠くなって横になっていた。気がつかないうちに寝ていたが、寝ている間は起きていると思っていた。
寝ていたことに気がついたのは電話がなったからだ。
あわてて階段をおり、電話をとった。
だれだろう?名前も名乗るのをわすれて「もしもし」と言うとしばらく声がなかったけれど
それはなんと名乗って良いのか困っていたからだと名前を聞いてからすぐにわかった。
こっちに引っ越してくる前に建築屋さんが案内してくれた同じ設計さんで建てた家の人だった。
こちらは別荘ということになっているのだけれど、去年あたりから別荘で過ごす時間の方が増えて、ほとんどこっちにいる。それで畑をして、ふたりで仲良く暮らしている。年齢は自分の親と戦争をはさんで産まれた兄弟くらいだから10こちょっと若いと思う。親でもないし、兄弟でもない年齢。
引っ越してからもそれがきっかけでときどき遊びにふらり、と寄ったりする。
そしておいしいお茶と楽しい話しをたくさん、たくさんしていつも幸せな二人のあたたかい空気をもらってもどってくるのだ。
電話をわざわざしてくるということはほとんどない。これは様子が違う、とおもったら薪割りをしていて腰をひねってしまったという。以前遊びに行ったとき、ちょうど私はぎっくり腰で、治療院の帰り。その治療院で私が借りて来たという野口整体の本を思い出して電話してきた。その治療院を紹介してほしいと思って電話をかけてきたのだという。
でもそこは震災後、しばらく山田で開業していたけれど、いまは沖縄に引っ越してしまっているので直接見てもらうことはできない。という返事をして電話を切った。
受話器を置いたあと、ようやく起きて来た頭で私は考えた。でもやっぱり半分眠った頭で、私にできることを探してみた。私に課されたものはなんだったのだろう?直接施術することはできない。自分の腰に気をつけなさいというメッセージ?それとも?と考えながらも手は腰痛のときにもらった資料を入れたファイル、お灸や本、カワラケツメイのお茶、レメディーのキット、自家製の醤油、そのときの醤油のもろみ粕などのお土産ともなんともいえないものを寄せ集めてカバンにいれていた。
そして車の中にいた。
電話では「たいしたことはないのだけれど」と症状のことを言っていた。けれど私が家についたときは横になっていた。
私がここ3年の腰痛体験と腰痛対策で知ったこと、取り組んだこと、気がついたことなどを総動員 して話をして、体操などを見せて来た。ほとんどは野口整体を知っている奥さんがご存知で、相づちをうってくれるので話はさらに饒舌になる。というより、この家にくるといつも私はちょっといつもに増してトークのスピードが増し、それにあわせて声のトーンも高くなるのがわかる。
調子に乗ってしまう。体の対策、腰痛になる心の対策について一通り話をし、レメディーを三粒おいてきた。
それからちょっと、って思ってお茶をもらって大笑いしながら話をきいたり、それでもたくさん話をしたら12時の音楽がながれた。あっという間に昼になっていた。お互いの話の勢いはとどまらない。どこで退席しようと台所をみると奥さんがなにやら粉をこね、それを綿棒でのばしている。手打ちうどんを用意してくださり、それを三人でおいしくいただいた。
そのあとも笑いに笑い、話すに話し、聞くにだけ聞いてご飯のあとのお茶を飲んでいて、そろそろ帰ろうとおもい席をたった。
軽トラに乗ってびっくりした。
時計がもう3時半になってる。夕方だ。。
浦島太郎ってこんな感じだったのだろうって思う。
あっという間の一日だった。
そして今は夕方のチャイム。それでもまだ日が高い。
明日は新月。
日差しの入る温かな二階のすのこ状の通路で窓の桟に背中をもたらせて本を読んだ。
すのこ状になった木は叩くとちょっとインドネシアの楽器のようなポコ、ポコという音を立てるものだらからその音が楽しくて叩きながら読んだ。
場所によって音程に差があるものだからなんだかそれだけでインドネシアのどこか島に来ているような気持ちになる。叩きながら読んだ。
本を一通り、なぜか後ろから読み出して前の方にもどっていった。せっかくこんなに暖かいのだからここに娘の布団を干そう、ふかふかにしよう、と敷いてその上で読んだ。そしたら案の定、眠くなって横になっていた。気がつかないうちに寝ていたが、寝ている間は起きていると思っていた。
寝ていたことに気がついたのは電話がなったからだ。
あわてて階段をおり、電話をとった。
だれだろう?名前も名乗るのをわすれて「もしもし」と言うとしばらく声がなかったけれど
それはなんと名乗って良いのか困っていたからだと名前を聞いてからすぐにわかった。
こっちに引っ越してくる前に建築屋さんが案内してくれた同じ設計さんで建てた家の人だった。
こちらは別荘ということになっているのだけれど、去年あたりから別荘で過ごす時間の方が増えて、ほとんどこっちにいる。それで畑をして、ふたりで仲良く暮らしている。年齢は自分の親と戦争をはさんで産まれた兄弟くらいだから10こちょっと若いと思う。親でもないし、兄弟でもない年齢。
引っ越してからもそれがきっかけでときどき遊びにふらり、と寄ったりする。
そしておいしいお茶と楽しい話しをたくさん、たくさんしていつも幸せな二人のあたたかい空気をもらってもどってくるのだ。
電話をわざわざしてくるということはほとんどない。これは様子が違う、とおもったら薪割りをしていて腰をひねってしまったという。以前遊びに行ったとき、ちょうど私はぎっくり腰で、治療院の帰り。その治療院で私が借りて来たという野口整体の本を思い出して電話してきた。その治療院を紹介してほしいと思って電話をかけてきたのだという。
でもそこは震災後、しばらく山田で開業していたけれど、いまは沖縄に引っ越してしまっているので直接見てもらうことはできない。という返事をして電話を切った。
受話器を置いたあと、ようやく起きて来た頭で私は考えた。でもやっぱり半分眠った頭で、私にできることを探してみた。私に課されたものはなんだったのだろう?直接施術することはできない。自分の腰に気をつけなさいというメッセージ?それとも?と考えながらも手は腰痛のときにもらった資料を入れたファイル、お灸や本、カワラケツメイのお茶、レメディーのキット、自家製の醤油、そのときの醤油のもろみ粕などのお土産ともなんともいえないものを寄せ集めてカバンにいれていた。
そして車の中にいた。
電話では「たいしたことはないのだけれど」と症状のことを言っていた。けれど私が家についたときは横になっていた。
私がここ3年の腰痛体験と腰痛対策で知ったこと、取り組んだこと、気がついたことなどを総動員 して話をして、体操などを見せて来た。ほとんどは野口整体を知っている奥さんがご存知で、相づちをうってくれるので話はさらに饒舌になる。というより、この家にくるといつも私はちょっといつもに増してトークのスピードが増し、それにあわせて声のトーンも高くなるのがわかる。
調子に乗ってしまう。体の対策、腰痛になる心の対策について一通り話をし、レメディーを三粒おいてきた。
それからちょっと、って思ってお茶をもらって大笑いしながら話をきいたり、それでもたくさん話をしたら12時の音楽がながれた。あっという間に昼になっていた。お互いの話の勢いはとどまらない。どこで退席しようと台所をみると奥さんがなにやら粉をこね、それを綿棒でのばしている。手打ちうどんを用意してくださり、それを三人でおいしくいただいた。
そのあとも笑いに笑い、話すに話し、聞くにだけ聞いてご飯のあとのお茶を飲んでいて、そろそろ帰ろうとおもい席をたった。
軽トラに乗ってびっくりした。
時計がもう3時半になってる。夕方だ。。
浦島太郎ってこんな感じだったのだろうって思う。
あっという間の一日だった。
そして今は夕方のチャイム。それでもまだ日が高い。
明日は新月。
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