九星氣学の氣の字は気じゃなくて氣を使うことが多い。
もともとの氣は中がお米だけれど新しい気はバッテン。
だから氣が良いのだっていう人もいる。
だから氣をつかってみる。
そういう人がいるのだからこれで私も書いてみる。何か印象が違う?
九星氣学が良くわかるように、もっと良く見えるようになる練習にって、先生に50人切りをすると見えるようになるって言われていろんな人の星を読んでる。
いまのところ了解を得て読んだ人は6人くらいかな。
その流れに乗っている人と、乗っているのがわからない人と、まったく違う人といる。
つい、当てよう、と思ったり
当たった、当たってない ってなったりする。けれど
星よみだから、当たる当たってないってことではなくて
その流れがあるから上手く乗ろうね、って事なんだって思って来た。
ビーチボードだったっけ?つまり巨大ビート板で波乗りの雰囲気を二、三回だけ体験したことがある。あるとき、どういうタイミング(日本語だとタイミングって好機だって、これはタイミングの方がわかりやすそう)なのだか、わからないのだけれどうまく波にあるときは乗れて、波打ち際までぶお〜んと体をもっていかれることがある。
これが何度もしていくうちに体でその感覚がつかめたり、または波の読める人にアドバイスもらったり、もしくはタイミングよく押し出してもらうことできっとわかっていくように、
そんな感じ。
星読みって言うのは
つまりこういう流れがあるのだから、こうやって星まわりのエネルギーに上手く乗ると
とっても目指す、進むはずの先に気持ちよく進んでいけることなんだって思う
星座占いもそうやって使うのが良いと思う
だからこれからはできるだけ言葉の使い方を練習して、
星を読んだ相手が
その波に乗っていることがわかる、
もしくは乗れてなかったら波乗りの先生みたいに乗り方のコツ、タイミングを助言かできるようにしてぽんと背中を押せるような
そんな星読みができるといいと思った如月朔日の朝。
もともとの氣は中がお米だけれど新しい気はバッテン。
だから氣が良いのだっていう人もいる。
だから氣をつかってみる。
そういう人がいるのだからこれで私も書いてみる。何か印象が違う?
九星氣学が良くわかるように、もっと良く見えるようになる練習にって、先生に50人切りをすると見えるようになるって言われていろんな人の星を読んでる。
いまのところ了解を得て読んだ人は6人くらいかな。
その流れに乗っている人と、乗っているのがわからない人と、まったく違う人といる。
つい、当てよう、と思ったり
当たった、当たってない ってなったりする。けれど
星よみだから、当たる当たってないってことではなくて
その流れがあるから上手く乗ろうね、って事なんだって思って来た。
ビーチボードだったっけ?つまり巨大ビート板で波乗りの雰囲気を二、三回だけ体験したことがある。あるとき、どういうタイミング(日本語だとタイミングって好機だって、これはタイミングの方がわかりやすそう)なのだか、わからないのだけれどうまく波にあるときは乗れて、波打ち際までぶお〜んと体をもっていかれることがある。
これが何度もしていくうちに体でその感覚がつかめたり、または波の読める人にアドバイスもらったり、もしくはタイミングよく押し出してもらうことできっとわかっていくように、
そんな感じ。
星読みって言うのは
つまりこういう流れがあるのだから、こうやって星まわりのエネルギーに上手く乗ると
とっても目指す、進むはずの先に気持ちよく進んでいけることなんだって思う
星座占いもそうやって使うのが良いと思う
だからこれからはできるだけ言葉の使い方を練習して、
星を読んだ相手が
その波に乗っていることがわかる、
もしくは乗れてなかったら波乗りの先生みたいに乗り方のコツ、タイミングを助言かできるようにしてぽんと背中を押せるような
そんな星読みができるといいと思った如月朔日の朝。
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ニューヨークに住むマクロビオティックの先生が近所で九星気学と料理教室をする。
慈々の邸(じじのいえ)での料理教室ちょっと気になったのでその人のブログやホームページをのぞいてみた。
野田清美さんホームページ
清美さんのブログをみたら、九星気学の説明があって、私の去年の状況を総括したかのようにピタリとした文章にもであった。
私は以前、2008年にマクロビオティックの教室でマクロの九星気学の講座を受講したことがある。そのときのノートをみかえしてみた。
先日2月3日の節分で終わった去年のできごとや役割がピタリとはまる。
昨年の途中にもノートを見返して、そのときの現状を確認していたはずだけれど、4日の立春で年が変わって新しい年になったので、その時とは違った心持ちでよく見返すことができる。
立春が年のはじめだってのが体感でよくわかる。なんだか先週と今週では心持ちがまったく別ものな気がする。
このごろ新しい仕事を始める友達や豊富めいたものを宣言する知り合いをフェイズブックの投稿やツイッターで見るけれど、やはりこの季節特有の空気感がそうさせるのだと思う。私もjimdoのブログが更新できなくてほったらかしても良いのに、こうして新しいブログを作ってなにやら書いている。
庭の土はもうどこもかしこも「ほこほこ」していくら空気が冷たくても冬なんてちっとも思えない。
すこし土を掘ったらツクシの子がすっかりツクシの形になって顔を出す準備していた、のですぐに埋め戻した。
今年は九星気学でいうと、ぐるっと9つの星を巡ってうまれた自分の星回りにすとんと戻る年。
去年は自分とはまったく違う役まわりで本当に目がまわったけれど今年はちょっとらしく落ち着けるはず。
九星気学は植物の一生に例えるとわかりやすい。ちょうど9年かけて種の状態で土のなかにあった種からから少し芽が出て、双葉がでて、成長をはじめ茎が伸び葉がでて、実り、熟し、ふたたび播き、撒いたとおりの花がさきわ〜とはしゃいで、そしてまた種としてじっくり今までのことを内省し、これからの9年を見通すとしになる。
これは占いというより、法則なんだと思う。
冬のあとにはあたたかな春が来て夏が来て秋がきて冬がくる。
寒い冬のあとに秋がくるかもしれないと思うより、春がくるのだとわかっている方がずっと力強いのと同じ。力になるのだって思う。
わかっていたり、知っていると見通しがついて落ち着くことが私にはとても多い。
だからこの九星気学の法則を知っていてよかったな、って思う。
そんなことを思っていたら、ポストに友達から手紙。なかに九星気学に触れた文章があって、
あらあら、どこまで遠くに何度引っ越してもやっぱり友達だ、って思った朝でした。
慈々の邸(じじのいえ)での料理教室ちょっと気になったのでその人のブログやホームページをのぞいてみた。
野田清美さんホームページ
清美さんのブログをみたら、九星気学の説明があって、私の去年の状況を総括したかのようにピタリとした文章にもであった。
私は以前、2008年にマクロビオティックの教室でマクロの九星気学の講座を受講したことがある。そのときのノートをみかえしてみた。
先日2月3日の節分で終わった去年のできごとや役割がピタリとはまる。
昨年の途中にもノートを見返して、そのときの現状を確認していたはずだけれど、4日の立春で年が変わって新しい年になったので、その時とは違った心持ちでよく見返すことができる。
立春が年のはじめだってのが体感でよくわかる。なんだか先週と今週では心持ちがまったく別ものな気がする。
このごろ新しい仕事を始める友達や豊富めいたものを宣言する知り合いをフェイズブックの投稿やツイッターで見るけれど、やはりこの季節特有の空気感がそうさせるのだと思う。私もjimdoのブログが更新できなくてほったらかしても良いのに、こうして新しいブログを作ってなにやら書いている。
庭の土はもうどこもかしこも「ほこほこ」していくら空気が冷たくても冬なんてちっとも思えない。
すこし土を掘ったらツクシの子がすっかりツクシの形になって顔を出す準備していた、のですぐに埋め戻した。
今年は九星気学でいうと、ぐるっと9つの星を巡ってうまれた自分の星回りにすとんと戻る年。
去年は自分とはまったく違う役まわりで本当に目がまわったけれど今年はちょっとらしく落ち着けるはず。
九星気学は植物の一生に例えるとわかりやすい。ちょうど9年かけて種の状態で土のなかにあった種からから少し芽が出て、双葉がでて、成長をはじめ茎が伸び葉がでて、実り、熟し、ふたたび播き、撒いたとおりの花がさきわ〜とはしゃいで、そしてまた種としてじっくり今までのことを内省し、これからの9年を見通すとしになる。
これは占いというより、法則なんだと思う。
冬のあとにはあたたかな春が来て夏が来て秋がきて冬がくる。
寒い冬のあとに秋がくるかもしれないと思うより、春がくるのだとわかっている方がずっと力強いのと同じ。力になるのだって思う。
わかっていたり、知っていると見通しがついて落ち着くことが私にはとても多い。
だからこの九星気学の法則を知っていてよかったな、って思う。
そんなことを思っていたら、ポストに友達から手紙。なかに九星気学に触れた文章があって、
あらあら、どこまで遠くに何度引っ越してもやっぱり友達だ、って思った朝でした。
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