ローフードの講座(ローチョコ)を受講して習ったことをどうしていくかということについて考えました。
私は吸収したことはだれかに伝えたい、と思う気持ちがとくに強いのだと思います。
御宿の牛舎8号で行われたローフード講座に行って来ました。
12月の回はお休みしたけれど、昨年9月から行われている講座を受講させてもらっています。
今回は明日のバレンタインにちなんでローチョコの作り方。
材料もオーガニックでローのものばかり。
輝きのあるもの
濁りのあるもの
材料は単純。ネットで調べれば簡単にわかる。そしてローフードは基本的に混ぜるだけだから作り方なんて、ほとんんど読めばわかります。だから行かなくて良いか、といえばやはり行った方がぐっと良いなと思うのです。今回は温度管理で輝きを出すコツ、出ない時の場合を参加した人のつくったチョコで観ることができました。一人でしていては決してわからない経験をまとめて経験できました。
それは現場ではコツなどもきけるし、失敗すればひとつ経験値があがるし、そして参加している人の様々な質問をきくと、そういう事に疑問や、関心があるのだな、とか、やはり行けば行ったことでしか得られないものをもって帰れたと思うのです。
私としてはその場に行ったその雰囲気をうけとっているのであって、レシピをもらいにいってるのではないと思って参加しています。
私がワークショプをしているときもそう。
以前、フェイスブックに友達が習ったと言うきれいなパステル画を教えて欲しいとメッセージで書いたら、教えた本人が横レスで「指導者は認定制度があって、指導者を経済的にも保護するためにそれはできない」というような内容を書いてそれはしないで欲しいというメッセージを書いてこられました。
それもたしかに経済社会という枠ではわかるし、やり方だけを伝えてもその意図がうまくつたわらず本質が歪むかもしれないということも十分わかるのです。でもなんだか窮屈な気持ちになりました。
娘が幼稚園のころの話。料理教室で一緒に参加した友達がシュタイナー教育でよく登場する「ウォルドルフ人形」を習ってきた友達にその作り方を教えて欲しいと言ったら「教えないでと言われたから教えられない」と言われたそうで、なんとシュタイナーって閉鎖的な!と憤慨してました。でもそれはやはり断ったお母さんの言うことが今はわかるのです。その人形は普通のぬいぐるみのように形がそこにあればいいというものではないし、その形を作るために布を裁断して羊毛をつめて、毛を生やす、ってだけではないって指導した人は思ってのことだと思うのです。それは指導者の保護というより、伝言で作った人やその子どものことを思った配慮であって、その形だけをつくってみたところで、その人形のもつ本質が伝えきれないだろうからという配慮からだと思うのです。
でもレシピとか作り方、やり方を教えられたくらいで保護されない指導者はきっと自信がないのだろうな、って。その指導者だからこそ習いに行きたい、と思える空間をきっともっているのだろうから、小さな心配はかえって、その技術や楽しさを損なうことになると思うのです。
もし、その空間が作れないのであれば本を読むのとなんら変わらないですから。
私はやるからには参加した人だけしかもって帰れないような場所を提供する自信をもってワークショップや指導をするように心がけます。参加した相手に必要なことだけ、必要な範囲のことだけその時間にそっと示唆して、参加した人が家に帰って、生活にもどって、なにかしたふとした瞬間に現れる、それを目指している。そういうワークショップをしたいと。そうした機会はあまりないけれど、でもするならばそのくらいの気負いは持っていたいと思うのです。
いつか、このことは文章にしたいな、と思ったからついでに書いてみました。
で、ローフードってほとんどの人には珍しいだろうし、ここに材料を書きたいけれど「転載禁止」ともらった資料に書いてあるし、禁止とあったらできないな、って。でも書いてもワークショップ全体の参加者に影響はないし大丈夫だろうな、とおもったり、でもどうだろうな?って思ったから。
そんなつれづれ。
でもとっても簡単で安全なものだけで出来てるチョコ。一粒であたまクラクラするくらい満足できました。乳製品が入ってないからかなりビターで大人の味。
一度機会があったら、スーパーで売っているチョコレートの原材料を良く「観て」その内容をすこしでも調べられたら良いと思います。今はパソコンで検索するとなんでも教えてくれるから便利ですね。上手に使いたい物です。
私は吸収したことはだれかに伝えたい、と思う気持ちがとくに強いのだと思います。
御宿の牛舎8号で行われたローフード講座に行って来ました。
12月の回はお休みしたけれど、昨年9月から行われている講座を受講させてもらっています。
今回は明日のバレンタインにちなんでローチョコの作り方。
材料もオーガニックでローのものばかり。
輝きのあるもの
濁りのあるもの
材料は単純。ネットで調べれば簡単にわかる。そしてローフードは基本的に混ぜるだけだから作り方なんて、ほとんんど読めばわかります。だから行かなくて良いか、といえばやはり行った方がぐっと良いなと思うのです。今回は温度管理で輝きを出すコツ、出ない時の場合を参加した人のつくったチョコで観ることができました。一人でしていては決してわからない経験をまとめて経験できました。
それは現場ではコツなどもきけるし、失敗すればひとつ経験値があがるし、そして参加している人の様々な質問をきくと、そういう事に疑問や、関心があるのだな、とか、やはり行けば行ったことでしか得られないものをもって帰れたと思うのです。
私としてはその場に行ったその雰囲気をうけとっているのであって、レシピをもらいにいってるのではないと思って参加しています。
私がワークショプをしているときもそう。
以前、フェイスブックに友達が習ったと言うきれいなパステル画を教えて欲しいとメッセージで書いたら、教えた本人が横レスで「指導者は認定制度があって、指導者を経済的にも保護するためにそれはできない」というような内容を書いてそれはしないで欲しいというメッセージを書いてこられました。
それもたしかに経済社会という枠ではわかるし、やり方だけを伝えてもその意図がうまくつたわらず本質が歪むかもしれないということも十分わかるのです。でもなんだか窮屈な気持ちになりました。
娘が幼稚園のころの話。料理教室で一緒に参加した友達がシュタイナー教育でよく登場する「ウォルドルフ人形」を習ってきた友達にその作り方を教えて欲しいと言ったら「教えないでと言われたから教えられない」と言われたそうで、なんとシュタイナーって閉鎖的な!と憤慨してました。でもそれはやはり断ったお母さんの言うことが今はわかるのです。その人形は普通のぬいぐるみのように形がそこにあればいいというものではないし、その形を作るために布を裁断して羊毛をつめて、毛を生やす、ってだけではないって指導した人は思ってのことだと思うのです。それは指導者の保護というより、伝言で作った人やその子どものことを思った配慮であって、その形だけをつくってみたところで、その人形のもつ本質が伝えきれないだろうからという配慮からだと思うのです。
でもレシピとか作り方、やり方を教えられたくらいで保護されない指導者はきっと自信がないのだろうな、って。その指導者だからこそ習いに行きたい、と思える空間をきっともっているのだろうから、小さな心配はかえって、その技術や楽しさを損なうことになると思うのです。
もし、その空間が作れないのであれば本を読むのとなんら変わらないですから。
私はやるからには参加した人だけしかもって帰れないような場所を提供する自信をもってワークショップや指導をするように心がけます。参加した相手に必要なことだけ、必要な範囲のことだけその時間にそっと示唆して、参加した人が家に帰って、生活にもどって、なにかしたふとした瞬間に現れる、それを目指している。そういうワークショップをしたいと。そうした機会はあまりないけれど、でもするならばそのくらいの気負いは持っていたいと思うのです。
いつか、このことは文章にしたいな、と思ったからついでに書いてみました。
で、ローフードってほとんどの人には珍しいだろうし、ここに材料を書きたいけれど「転載禁止」ともらった資料に書いてあるし、禁止とあったらできないな、って。でも書いてもワークショップ全体の参加者に影響はないし大丈夫だろうな、とおもったり、でもどうだろうな?って思ったから。
そんなつれづれ。
でもとっても簡単で安全なものだけで出来てるチョコ。一粒であたまクラクラするくらい満足できました。乳製品が入ってないからかなりビターで大人の味。
一度機会があったら、スーパーで売っているチョコレートの原材料を良く「観て」その内容をすこしでも調べられたら良いと思います。今はパソコンで検索するとなんでも教えてくれるから便利ですね。上手に使いたい物です。
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