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今日は土曜。昨日が修了式。
今日は朝から親師会(PTA)主催の「人文字」のイベント。学校の校庭に行く。
地区ごとにならんで文字をつくる。私の地区は「古」の担当。並んだところで屋上から来年度の会長さんがあっちへ、こっちへ、ここへ、そこが曲がっている、と調整をしてくれたあと写真をとってくれる。
どんな仕上がりなんだろう?
そのあと校庭でうちの人と近所のスーパーで客布団を買うかどうかについて話をしていたら、横にいた近所の人が貸してくれるというので甘えることにした。
宿泊施設をしていたから30セットくらいあったけれど今はずいぶん処分したという。
さっそく手作りの押し入れに入っていた布団を2セットお借りしてきた。
少し収納した押し入れの匂いがするので外にまず干して空気に当ててあげた。
でも家にいると気がつかないけれど外はずいぶんとさむい。これでは縮こまってしまいそう、と取り込み、ロフトにもちあげて欄干にかけた。
匂いがすこし気になるけれど、化学臭ではないので頭は痛くならない。
それでも来週までにはこもった匂いを発散して、気持よく寝て欲しいのでユーカリオイルを二、三滴いれた水をスプレーしてきれいに。私なりの浄化のつもり。えひめアイもかけてみたけれど、どうかな。
嗅覚はすぐに慣れてしまうので、遊びにきた娘の友達に「カビ臭い?」って聞いたけれど
「ぜんぜん」
だって。
洗剤の匂いは慣れないけれどもう、ないのか、慣れたのか、気にならない。
外から帰って来たら気になるのかな。。

花粉症でもあるそうだから、花粉もないようにしてあげよう。
どこにも行かない春休み。
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iPadが欲しかったのだけれど手に入った。ホワイトの64ギガ。相当高い。ホワイトデーと誕生日たしか二回分と言ってもらった。去年と一昨年の誕生日かな。いや、もっと前のだろうか。今年は何かな。今から楽しみ/
ありがたい。
iPhoneの写真がいっぱいで空き容量がなくなってきたので、写真を整理するものが欲しかった。
拡大できるのが都合がよかったのでiPadが良かった。
しかし、設定はとっても楽だったのに、iPhotoの写真をiPadに同期するのにかれこれ1時間半以上かかっている。ひょっとしたら今、途中でいじったのでやりなおしか/あと1400枚残ってる。全部で5000枚以上。動画もある。
表示はわかりやすいしきれいだから楽しそうだ。ここに取っておけば何かのときに大量のアルバムを持って逃げなくてすむ。

春休みは旅行はしないことになっている。小さく出かける予定や泊まりに来てくれる友達、両親など少しずつ入って来た。

明日は修了式。
とうとう掲示ボランティアとして先週も今週も出かけずに修了式。
明日で3年間お世話になった校長先生が退官される。
担任の先生も退職。きびしくて9才の子どもたちにとってとても良い楯、壁となって大人というものの存在を示してくださった。

4年生か。毎日はいろいろとあるけれど、振り返ると産んでからあっという間。
今日は祝日だった。何の日か忘れていたけれど休みだと思っていたので目覚ましをかけずに起きた。ロフトの窓から光が入っていて明るいと思ったので起きたらまだ6時前だった。
チャボはいつも3時半くらいはたくさん鳴くのだけれど、少し明るくなると鳴き止むので上手い具合に二度寝してしまうが、それもお得な気がする。
昨日は前の晩に夜更かししたせいで、7時から眠くなり、片付けをすると娘より先に寝てしまう。
なので主人が帰って来て台所でガチャン、ガチャ、ガチャ!!という破裂音で起きたときは1時半だったけれどすでに6時間は寝ていたからもう起きても良かったけれど、あまりに暗いので寝た。

娘はこのところ時間があれば近所の友達と目一杯遊ぶのだが、鼻水と咳がでるので今日は遊ばないで家にいるように言ったら、文句でも言うかと思ったけれど案外大人しくそれに従った。
自転車で近所まで行ったり、おやつを食べたり、庭で一緒にサッカーをしたりした。
この4日くらい私はズボンをはいている。シュタイナー幼稚園の年中からずっとスカートだからこんなに履き続けるのはひさしぶり。服で性格が変わるのでおもしろい。
サッカーをしていてもシュタイナー前の私になるのでおもしろい。
服装は大事だと思う。
サッカーは畑だったところをもう畑はしばらくしないので、そこをうちの人が整地してくれた小さな庭のグランド。バスケットゴールもあるので軽く運動場。もっと早くから畑はあきらめてこうすればよかった。友達がきてもそこで遊ぶようになった。

祝日だけれどうちの人は夜勤だからご飯以外はずっと寝ていて、娘はそれが大層不服だったのだけれど、そこだけかまってあげてどうにか一日が終った。
AirMacと3DSの接続が簡単にできるかと思ったら、セキュリティーキーとかWEPとかわからんちんな言葉がでてきて、いっくら検索をしても解決方法がみつからないままに一時間半経過。娘は寝る時間をとおにすぎてしまい、あきらめて寝せたところで原因がわかる。
接続テストで「接続ができました」の表示に変わった時は「やった!」と思わず声をあげてしまい、半分寝かかった娘を起こしてしまったものだから、10時すぎでもベッドでゴロゴロしてる。

暗くなってから雨の音がしたけれど、もう止んだみたいだ。
この前の雨のあとは窓掃除したけれど、明日は雨戸のない窓だけは窓掃除だな。
水玉模様に曇った窓はとても気になる。ガラスは透明に限る。




このところ振り返るような日記ばかり書いて来たので、
しかし日記と言うのは振り返るものなのかもしれないけれど、
今日は先のことも考えた、という話にしようと思う。

このところ、まったく娘が付合ってくれない。
だからといって、べったりと一緒が良い、一緒にいて欲しい、というわけではなく、
むしと何かしようとするとついまとう娘をうざったくも思っていたのだ。
草刈り、庭仕事はとくに、ぼーっと見て、一緒にするわけではなく、なのに遊んで、遊んでとひたすら言うので仕事がはかどらない。一人で遊んでくれたらどんなに楽だろう、と思っていたのはついこの秋まで。
しかし、こんどはまったく付合ってくれない。
友達と遊ぶ約束をし、土日はうちにきたり、友達の家に行ったり。
だからといって、私はどこか買い物にも出かけられずに家にいる。友達の家にいっても戻ってくるかもしれないし、子どもだけで遊ばせるわけにもいかないから家にいる。
すると一人で家にいる時間が格段に増えた。

喜んでもいいはずなのに、ちょっと一緒に行こうと思う場所には平日は帰りが遅くてまず行けない。
早く帰って来てもすぐに友達と遊ぶ。
土日はまるごと8時半から5時半まで遊ぶ。
で、くたくたになって8時前に今日も寝てしまった。

そろそろ老後のことを考えなくては。
あっという間だったなあ、子育て。


もうなにをしてもいやになった。フロントの女の子の顔をみても、おばさんの顔をみても、営業の上司をみても帳票をみてもなにもかもいやになった。自分の中途半端が共鳴して、そういう人たちの中途半端さが許せなかった。
毎日気がくるったみたいで、そこにはどこをさがしてもどんなことをしても自分の居場所がなかった。
「居場所」それが見つからないのではなくて、そのころ、ないことにやっと気がついた。
外勤の仕事はむいていなかった。はじめからむいていなかったけれど、外勤の人がいなくなって、内勤から外勤になった。
三年経っていた。そのわりに進歩がなかった。
なにをどうしたらどうなる、という今までの達成感があったものがそこには見つけられなかった。
何をしてもどこに行ってもいつも根気比べをしているみたいで、ただ、スケジュール帳の空白を埋めるためにアポをとり、出かけ、重たいカタログとサンプルをカバンにつめて電車にのった。たくさん電車に乗って遠くまで行けることは楽しかった。新幹線に乗って日帰りで出張するのも、やっぱり泊まろうと出張先の長岡駅のメッツに宿をとったりするのは楽しかった。
でも会社の都合をお店の人に気持ちよく理解してもらえるためにと、たくさん嘘をついた。私は船は沈めなかったけれど。

目的はなかった。会社の目的はあったけれどそれは私の目的ではなかった。それにその時はまったく気がついてなかった。「働く」ってことは当たり前だったけれど、なんで働いているのかはちっともわからなかった。
嫌なことがあるとなんどもこの人たちが消えてなくなればいいと思った。自分が消えることは考えてなかった。

それでもやっぱり智恵子抄の智恵子みたいな気持ちがしていた。空をみてもここは私のいる場所の空じゃないな、って思った。よくわかる、って思った。この先ゴリゴリとここにいてもくるうだけだとおもった。逃げ道はそこにしかなかった。
やめることにした。いつやめようか、今度はそればかり考えていた。

得意先からの帰りだった。新百合ケ丘だったかあざみ野だったか、大きなロータリーのあるちゃんと車社会を意識して作られた、そんなシャレた住宅街の駅でバスを降りた。駅前の文房具屋さんにはいり、その店で和紙のような手触りのきれいな白い便せんを買った。

そしてその便せんをカバンに入れて歩くと、なんだかすこし変われた気がした。そしていつものように営業所に戻ったのだったと思う。

家でその便せんに辞表を書いた。今のようにネットがないから、文章は結婚するときに相手が買った社交辞令集のようなものが家にあって、それを見て書いた。万年筆をつかって縦書きに書いた。
書いてからしばらく、長い気がするけれどたぶん1日か2日カバンに入れていた。いつだったか、営業所の係長にそれを渡した。どこでいつ渡したのか思い出せないけれど、そのあと本社の部長が係長に辞表をもらったことを聞いて、渡してくれてたんだって思った。

それから引き継ぎをして、人事異動があって、消化の休みをとって3月末で退職した。最後は高熱がでて、喉を痛めて、挨拶をしたかったのだけれど、まったく声がでなくなった。年度末によくこの風邪をひくのだけれど、かんじんな時にまったく声がでなかった。病院で薬をもらうと喉の痛みがなくなった、と思ったら今度は声を出すと喉がかゆくて、咳が止まらず、やはり話ができなかった。
本社の別部署の課長が「いいやつからいなくなる」と最後の本社出張のとき居酒屋の帰り道、公園の脇の道のところで泣いていた。そのあと「峠」という詩を書いたものを手紙にもらった。なにかあったらいつでもメールをよこすんだぞ、とアドレスも書いてあった。その手紙はいまも大事にしている。けれど、ひょっとしたら返事をまだ書いてないかもしれない。

そうして10年がたった。フェイスブックで本社の先輩からメッセージがきた。住所も電話もメールアドレスもわからない、一生関わることのないとおもった人と連絡が取れる。
10年ひとむかし。
営業時代は「つかまらないから困る」と得意先に持てくれと言われた携帯はつかまるのがいやで持たなかった。でも今私はiPhoneが手放せなくなっている。
10年ひとむかし。

始めることより終ることの方がとても大変で、力のいることなんだと、とわかった何度目かのむかしのできごと。

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