昨日は新月で陰暦の睦月の朔。
あけましておめでとうございます。という
言葉がフェイスブックでも飛び交っていた。
隣をみると、おお、紅いものが。
近寄ってみて見る。
梅だ、梅。正月に梅なのはやはり正月が今だってことだよな。
七草がゆだって一週間後ならわかる気がする。
今なんだよな。正月。
なんだ青い葉っぱを生で食べたくなったのも今。
で、この梅をカメラのモニターごしに拡大してみたときに「うお、かわいい」と思ってしまった。
とうとう梅をみてかわいい、と思う歳になった。櫻と梅とで櫻の花がよかったけれど、
そういう日がいつかくるとは思っていたけれど、昨年当たり、それはそろそろ来るぞ、と薄々おもっていたけれど、それは今だった。
いま想像しても梅がいい。
そんな歳になった正月。
昨晩は11時半まで起きていた。
先日それと同じ時間に起きていた翌日は具合の悪いことといったらなかった。
具合の悪さと夜更かしとを単純に結びつけていたのだが、ふと、もう一度やってみよう
と思ったのだ
今朝はまるでなんともない。
先日のはただ体調が変化するときで次の日から月のものがきた。あの眠気と頭の回転の悪さは夜更かしの影響ではなかったのだと気がついた。男女共同参画などいろいろ言われるが、男と女とでは生理がちがうのであるから私はあまり賛成しない。運転士などの職種ではよほどこうしたことについて研究と対策を必要としなければ、事故が起きかねないとつくづく思う。こんなこととはまったく逆の意見をつい7、8年前まで思って、男女差のあることに心底腹をたてていたのだからおかしい。
しかし、これほどまでに体調の不調を感じたのも初めてだからそろそろ更年期障害というものについても勉強をしておかなくては行けないと思った。
でも早く寝ることの体に良いことはあっても悪いことはないので早く寝るようにする方針については変更はない。
一昨日は重い腰をあげて子供が前からやりたいと言っていた夜間練習のスポーツ活動の見学に行った。
子供はもちろん私もとうに寝てしまう時間に終わる活動に躊躇していたのだが、先週ふと
「子供のために生きるか」と
大げさにいえばそうした心持ちになった。
それで見学にいった。見学といっても最初から同じ体験をさせてもらったので2時間半弱を動いていた。最後まで見学をしたのだが、私の子供なのに運動神経が良い。比べるものが「私」なのでたいしたことはないのだが、それでも目にみえて「運動感覚」や「平衡感覚」がきっちりしている。他に関してはあまりほこるものがないが、唯一生命感覚に関しては優れていると感じていた。7才まできっちり勉強をさせなかったことが効いているなと思った。
私は運動、とくに体育が苦手というより嫌悪感があるので観戦も熱をいれてしたことがなかったが、この日は面白く見学できた。事前にルールを頭に入れていたことも功を奏したと思う。
それで案外と私のなかにも熱がうまれたので子供にスポーツ用のメガネを与えようと茂原のやべさんに行ったが、ゴーグルタイプを試着すると「両脇の視界がない」と不平を言って結局作らずに帰って来た。
あのメガネはやはり接触をともなうスポーツなので危ないと思うのだが、メガネをしていなければ何もわからないのだから困り者だ。
帰りに成田屋さんによって帰って来た。初めて行くスーパーだったが、以前農村カフェnoraの人が良い物も置いてあると聞いていたので楽しみに入った。
野菜も有機のコーナーがあって、ひさしぶりに良さそうな椎茸があったので買ってきた。311以降ほとんど生の椎茸は食べていない。スキレットで塩を振って両面蒸し焼きし、水で割った醤油をさーっとまわしかけて食したがなんともおいしかった。生の椎茸はやはりおいしい。ソースもなくなっていたのだが、有機のおいしそうなソースを買った。すこし気に入らない食材もソースをかけて味をわからなくすると食べるので食材にこまったときに大変助かる子供用調味料。これでキャベツも食べられる。
今朝は朝から小雨が降っているので本を読むことにした。iBookで購入した北大路魯山人と夏目漱石を読むことにした。北大路さんの本は3、4ページと非常に短いので読みやすい。
お米の話などはこのところ「おいしいご飯がたべたい」と思っている私にもおもしろい内容。
そうだ、ごはんはおいしくないといけない。
鍋で15年近く炊いている。最近古い小さな炊飯器をもらったのだが、コンロの数だとか、迎えに出るときに炊いてでるなどで使ったときに出したごはんを「今日のごはんはおいしい」と言われる。たしかに粒がひとつひとつおいしそうなの見た目にもわかる。悔しい。
なぜ鍋で美味しく炊けないのだろう。そう思った。
今日は父の誕生日だ。私と4日しか違わないのに牡牛座で私は双子座だ。産まれたときに太陽の道が牡牛座を通っていたか、双子座を通ったかで占いが違うのだからおもしろい。
義理の両親のようになにか祝いをしなくてはという緊張がないし、そうした風習がなかったのだが、これからちょっとメールでも打とうと思う。
夏目漱石の三四郎が熊本で生まれたのが明治23年。私の祖母が生まれたのが明治27年。ハイカラさんが通るの少尉が生まれたのが明治30年(だったと子供が言っていた)。なんだかそういう歴史をみるのも楽しい。23歳の三四郎より若かった大学時代に読んだときはあちこち地名がでてくるのが楽しくて文京区に校舎のある先輩に自転車を借りて文京区や上野あたりを地図を片手にまわった。これから読むと、なにに惹かれ、なにが楽しいのだろう。
祖母が生きていれば119才。細胞学的にいえば無理ではない年齢。三四郎サンは124才くらいか。それでは無理だ。少尉は生きていたらどんなおじいさんなんだろう。身長が180センチの老人。会ってみたい。
先日それと同じ時間に起きていた翌日は具合の悪いことといったらなかった。
具合の悪さと夜更かしとを単純に結びつけていたのだが、ふと、もう一度やってみよう
と思ったのだ
今朝はまるでなんともない。
先日のはただ体調が変化するときで次の日から月のものがきた。あの眠気と頭の回転の悪さは夜更かしの影響ではなかったのだと気がついた。男女共同参画などいろいろ言われるが、男と女とでは生理がちがうのであるから私はあまり賛成しない。運転士などの職種ではよほどこうしたことについて研究と対策を必要としなければ、事故が起きかねないとつくづく思う。こんなこととはまったく逆の意見をつい7、8年前まで思って、男女差のあることに心底腹をたてていたのだからおかしい。
しかし、これほどまでに体調の不調を感じたのも初めてだからそろそろ更年期障害というものについても勉強をしておかなくては行けないと思った。
でも早く寝ることの体に良いことはあっても悪いことはないので早く寝るようにする方針については変更はない。
一昨日は重い腰をあげて子供が前からやりたいと言っていた夜間練習のスポーツ活動の見学に行った。
子供はもちろん私もとうに寝てしまう時間に終わる活動に躊躇していたのだが、先週ふと
「子供のために生きるか」と
大げさにいえばそうした心持ちになった。
それで見学にいった。見学といっても最初から同じ体験をさせてもらったので2時間半弱を動いていた。最後まで見学をしたのだが、私の子供なのに運動神経が良い。比べるものが「私」なのでたいしたことはないのだが、それでも目にみえて「運動感覚」や「平衡感覚」がきっちりしている。他に関してはあまりほこるものがないが、唯一生命感覚に関しては優れていると感じていた。7才まできっちり勉強をさせなかったことが効いているなと思った。
私は運動、とくに体育が苦手というより嫌悪感があるので観戦も熱をいれてしたことがなかったが、この日は面白く見学できた。事前にルールを頭に入れていたことも功を奏したと思う。
それで案外と私のなかにも熱がうまれたので子供にスポーツ用のメガネを与えようと茂原のやべさんに行ったが、ゴーグルタイプを試着すると「両脇の視界がない」と不平を言って結局作らずに帰って来た。
あのメガネはやはり接触をともなうスポーツなので危ないと思うのだが、メガネをしていなければ何もわからないのだから困り者だ。
帰りに成田屋さんによって帰って来た。初めて行くスーパーだったが、以前農村カフェnoraの人が良い物も置いてあると聞いていたので楽しみに入った。
野菜も有機のコーナーがあって、ひさしぶりに良さそうな椎茸があったので買ってきた。311以降ほとんど生の椎茸は食べていない。スキレットで塩を振って両面蒸し焼きし、水で割った醤油をさーっとまわしかけて食したがなんともおいしかった。生の椎茸はやはりおいしい。ソースもなくなっていたのだが、有機のおいしそうなソースを買った。すこし気に入らない食材もソースをかけて味をわからなくすると食べるので食材にこまったときに大変助かる子供用調味料。これでキャベツも食べられる。
今朝は朝から小雨が降っているので本を読むことにした。iBookで購入した北大路魯山人と夏目漱石を読むことにした。北大路さんの本は3、4ページと非常に短いので読みやすい。
お米の話などはこのところ「おいしいご飯がたべたい」と思っている私にもおもしろい内容。
そうだ、ごはんはおいしくないといけない。
鍋で15年近く炊いている。最近古い小さな炊飯器をもらったのだが、コンロの数だとか、迎えに出るときに炊いてでるなどで使ったときに出したごはんを「今日のごはんはおいしい」と言われる。たしかに粒がひとつひとつおいしそうなの見た目にもわかる。悔しい。
なぜ鍋で美味しく炊けないのだろう。そう思った。
今日は父の誕生日だ。私と4日しか違わないのに牡牛座で私は双子座だ。産まれたときに太陽の道が牡牛座を通っていたか、双子座を通ったかで占いが違うのだからおもしろい。
義理の両親のようになにか祝いをしなくてはという緊張がないし、そうした風習がなかったのだが、これからちょっとメールでも打とうと思う。
夏目漱石の三四郎が熊本で生まれたのが明治23年。私の祖母が生まれたのが明治27年。ハイカラさんが通るの少尉が生まれたのが明治30年(だったと子供が言っていた)。なんだかそういう歴史をみるのも楽しい。23歳の三四郎より若かった大学時代に読んだときはあちこち地名がでてくるのが楽しくて文京区に校舎のある先輩に自転車を借りて文京区や上野あたりを地図を片手にまわった。これから読むと、なにに惹かれ、なにが楽しいのだろう。
祖母が生きていれば119才。細胞学的にいえば無理ではない年齢。三四郎サンは124才くらいか。それでは無理だ。少尉は生きていたらどんなおじいさんなんだろう。身長が180センチの老人。会ってみたい。
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