西の窓がまあるい景色に掛けかわりました。
図面が出て来た時に西に窓なんて、と思って設計の人に話をしたら、ゴッホの絵のような風景もいいかな、なんて
と返事がありました。
それを読んで、それも、そうだな、と西に窓が三つ並んでいます。わたしの窓は真ん中の窓です。
だから、西側の窓の絵、だとおもって毎日ここで針仕事をしたり、手紙を書いたり、本を読んだり、パソコンをしたりしています。
その窓の景色は季節でも一日の中でも掛け変わる便利な絵です。白い額縁の中はいつでも変わります。
今日はそれが大きく変わりました。
土地には大きな背の高い一本の杉があって、それにあわせてピタリと建物のツラが会うように位置を決めた、なんとなく大事に思っていた木です。
でも、この前の秋の大風の時に近隣の杉が次々に根こそぎ倒れていたり、途中から折れているのをみて、これはサインだと思いました。
すると不思議なことに杉の木を切ってくださる仲間をみつけ、トントンと話が進み、そして気が熟して今日はその日になりました。
あまりに大きな木。けっきょく倒してみれば21mもあったそうです。直径は60cmと50cm。円周は170cmくらいでしょうか。
ここに越してきて4年分の年輪は三センチもあり、ずいぶんと太く大きくなっていました。
作業をした人たちみんなの安全が気がかりでしたが一つの怪我もなく、隣の家に倒れることもなく、見事に狙った場所に倒れた杉でした。
なによりみんなに怪我がなくて、それが一番、本当によかったです。
私は3年前はチェーンソーをもって自分で丸太を切っていました。震災の前日もチェーンソーで友達のためにホダ木を切っていました。
でもいまは持つのを辞めました。その頃の、私なら出て行ってこの木を倒す技を習得したいと心から願って参加していたとおもいます。
震災の後しばらくも、ものを作ることの技術を得たい、というその思いは半年くらい続きましたが、たびたびのぎっくり腰や、体全体を覆う汗疹、その後の蕁麻疹と、体が思うようにならなくなり、変更を余儀無くされていることにだんだんと、うっすらと気がつきはじめました。
今日は昼ごはんを用意する、と案内したとのことで、私はそのことに集中してかかりました。私は料理を人にお出しするものを作るのにとても緊張します。体質や好み、アレルギーの有無、主義などがそれぞれにあることを知っているからです。
なのでよくよく考えてその人に合うものを、とおもうのですが、今日は昨日の昼までどなたが何人、何時に来るかを聞かされていなかったので想像でとりかかりました。結果大人10名。子供3名でした。
いつも娘と二人分が基本量なので6倍作るのは緊張しました。
外で作業をする音のするなかで、中で料理をこしらえる、という分担にはじめてストンと収まりを感じました
不動産屋でマンショや、家を探すときに連絡先を書かされる、その時に
ご主人のお名前で
と言われて心底男女不平等だと何年もそのことを思い出すたびに腹を立てていた20代後半から30代の前半とは変わりました。それはそれでおかしいことですが、それに限らずほかにも全部同じにしたい、とそう思っていました。
でも体の自由がきかなくなって、それぞれに役割があるのだなとわかってきました。しかも、写真で見ると私はえらく小さい。自分が思う以上に小さい、、。だれも私に力仕事は期待していなし、そう生まれてきていないなと。
料理をつくるだけでみんなが帰ってもとの通りに戻って座っても頭の中でザワザワとまだ動いているようでした。私には期末試験のようなそんなイベントでした。
作業に来てくださったみなさんや、料理や配膳、片付けをしてくれた友達のいるありがたさ。無事に木が倒れてくれたこと、すべてにただただありがとうございます。
引越してきた当時の西の窓の絵。大きな物置小屋もありました。
図面が出て来た時に西に窓なんて、と思って設計の人に話をしたら、ゴッホの絵のような風景もいいかな、なんて
と返事がありました。
それを読んで、それも、そうだな、と西に窓が三つ並んでいます。わたしの窓は真ん中の窓です。
だから、西側の窓の絵、だとおもって毎日ここで針仕事をしたり、手紙を書いたり、本を読んだり、パソコンをしたりしています。
その窓の景色は季節でも一日の中でも掛け変わる便利な絵です。白い額縁の中はいつでも変わります。
今日はそれが大きく変わりました。
土地には大きな背の高い一本の杉があって、それにあわせてピタリと建物のツラが会うように位置を決めた、なんとなく大事に思っていた木です。
でも、この前の秋の大風の時に近隣の杉が次々に根こそぎ倒れていたり、途中から折れているのをみて、これはサインだと思いました。
すると不思議なことに杉の木を切ってくださる仲間をみつけ、トントンと話が進み、そして気が熟して今日はその日になりました。
あまりに大きな木。けっきょく倒してみれば21mもあったそうです。直径は60cmと50cm。円周は170cmくらいでしょうか。
ここに越してきて4年分の年輪は三センチもあり、ずいぶんと太く大きくなっていました。
作業をした人たちみんなの安全が気がかりでしたが一つの怪我もなく、隣の家に倒れることもなく、見事に狙った場所に倒れた杉でした。
なによりみんなに怪我がなくて、それが一番、本当によかったです。
私は3年前はチェーンソーをもって自分で丸太を切っていました。震災の前日もチェーンソーで友達のためにホダ木を切っていました。
でもいまは持つのを辞めました。その頃の、私なら出て行ってこの木を倒す技を習得したいと心から願って参加していたとおもいます。
震災の後しばらくも、ものを作ることの技術を得たい、というその思いは半年くらい続きましたが、たびたびのぎっくり腰や、体全体を覆う汗疹、その後の蕁麻疹と、体が思うようにならなくなり、変更を余儀無くされていることにだんだんと、うっすらと気がつきはじめました。
今日は昼ごはんを用意する、と案内したとのことで、私はそのことに集中してかかりました。私は料理を人にお出しするものを作るのにとても緊張します。体質や好み、アレルギーの有無、主義などがそれぞれにあることを知っているからです。
なのでよくよく考えてその人に合うものを、とおもうのですが、今日は昨日の昼までどなたが何人、何時に来るかを聞かされていなかったので想像でとりかかりました。結果大人10名。子供3名でした。
いつも娘と二人分が基本量なので6倍作るのは緊張しました。
外で作業をする音のするなかで、中で料理をこしらえる、という分担にはじめてストンと収まりを感じました
不動産屋でマンショや、家を探すときに連絡先を書かされる、その時に
ご主人のお名前で
と言われて心底男女不平等だと何年もそのことを思い出すたびに腹を立てていた20代後半から30代の前半とは変わりました。それはそれでおかしいことですが、それに限らずほかにも全部同じにしたい、とそう思っていました。
でも体の自由がきかなくなって、それぞれに役割があるのだなとわかってきました。しかも、写真で見ると私はえらく小さい。自分が思う以上に小さい、、。だれも私に力仕事は期待していなし、そう生まれてきていないなと。
料理をつくるだけでみんなが帰ってもとの通りに戻って座っても頭の中でザワザワとまだ動いているようでした。私には期末試験のようなそんなイベントでした。
作業に来てくださったみなさんや、料理や配膳、片付けをしてくれた友達のいるありがたさ。無事に木が倒れてくれたこと、すべてにただただありがとうございます。
引越してきた当時の西の窓の絵。大きな物置小屋もありました。
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