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シュタイナーのヨハネ福音書講義という本があるそうだ。
持ってもないし、読んだこともないのだけれど、

ヨハネ福音書には真のことしか書いてない、つまり余計なことが書いてなくて、ふだん、いかに私が余計な言葉を発して生きているかどうかわかる

という人の話をきいて、興味をもっていた「ヨハネ福音書」
そもそもヨハネ福音書というのがなんだかもわかってない。

聖書の後ろの方に書いてあるらしい。いつか聖書を手に取ることがあったら見てみよう。昔はよくホテルの引き出しに入っていたけど、いまはないなあ。なんで入っていたのだろう??


そのヨハネ福音書の第二講のワークショップ。
なにが書かれているか、についてよりもそこに流れる思想について話をするワークショップ。

全編に流れていのは人間、人類がキリストとかかわり、どのように進んで行くのか、ということが書かれているそうだ。


人間と動物、植物、鉱物のはなしもでた。
これはシュタイナーではよく聞く話で、シュタイナー幼稚園ではアドベント(クリスマス前の4週間)に毎週石、次の週には木の実、その次の週には鳥のはね、がどこかから届き最後の週はクリスマスで日にイエスが誕生する、ような(ちがったかな)行事があった。


人間は 
  1. 自我 自分が自分であること
  2. アストラル体 感情の部分 暑いとか寒いとか、痛いとか気持ち良い、とか
  3. エーテル体 生命力の部分 中国でいうと「気」の部分 自然の法則(生ものが腐る、枯れる、という法則とあらがう力の部分 これがないと人間、夏のたびに冷蔵庫いれないと腐ちゃうし。。)
  4. 肉体 からだのところ
の四つから構成されている、
と考える。

鉱物は4 植物は4と3 動物は4と3と2を持ち 人間が4つの全てをもつ

そこまでは今まで知っていたことだったのだけれど
今回の発見は
鉱物も1、2、3を持っている、という話だったのだ。
え?鉱物が自分がこっちに行きたい、とかこのアスファルト暑いから草むらがいい、とか、思う?っておもったのだけれど
鉱物の3エーテル体は高次の、つまり全体のなかに属している、
というのだ。
全部でまとめて一つ
2も同じ。1も同じ、それらは大きく、全部で一つなのだそうだ。

で植物も2と1があって、それは高次の、つまり全部のなかにある
って。

動物の1自我も精神界にあって、一匹、一頭、一羽づつはもってなくて全部のなかにある
という。それはイメージできる。アリとかは全体で一つのものにむかって働ている。

そして地球はわかるだけで4回生まれかわったのだけれど、
一度目の旧土星期には物質だけ、二度目の旧太陽期はそれとエーテル体、三度目の旧月期にはさらにアストラル体を人間は獲得し、ようやくこの4回目の地球期でやっと人間は自我をもつことになったので、自我はまだ幼く、使い勝手がうまくなくて、本来貫けるはずの自我がアストラル体やエーテル体に自我が負ける時もある。もはや肉体を自我ではどうすることもできない、と言う。
自我はなにをしているのか?と言ったらさまざまな欲求を何とか抑えようとしている。


たとえば
具合がわるくて、自分のことだけを考えるとき
お腹がすいて独り占めしてたべものをたべるとき
低次の自我が働いて、自分だけの満足のために行動する

もっと進化したら、自我がまずはアストラル体に勝て、次にはエーテル体に勝て、ついには肉体をも自我でどうにかなるのだという。

だから人間はみんなが良くなるように、ってそっちをめざしているけれどお腹がすけば遠くの飢饉の子より自分、きれいにみえるように、新しい服が安くて欲しいから、バングラディシュのすごい壊れたようなビルで働いている人たちの服を、そうとは知らずに、そうと知っていても遠いことのように買っておしゃれができる。でも知れば辛いのだと思う。


これは私の考えた比喩的な話だけれど
動物的な人は集団でものを考えるし、
植物レベルなら感情もなく生きられるし、
鉱物レベルならそれすらなく、冷たく生きることができるのだろう
人間としてがんばっているひと、神様みたいなひとがいる一方でそういう人もいるのだろう。


キリストが生まれた頃は地球はかなり荒廃していて、生まれ変われずに死んだら黄泉の国のようなところに行って上がって来られない人がほとんどだったそうだ。
それを生まれ変われるように、ってキリストが地上に降りて来て、復活するまでの3日半の間そこにいって救い出して来たそうだ。

キリストは二度と肉体をもって生まれてはこない、と言われていて、それは一人一人がキリストをあらわす時代で、私の生き方がキリストを表すのだそうだ。


いまはインディゴチルドレンという人がいて、それはもうそういう人が生まれてから30年くらいは経つからその人がさらにお父さん、お母さんになっているそうなんだけれど、そういう進化した人が生まれているそうだ。
何事も陰陽、その反対にシーソーの反対側、また進化しない人、つまり黄泉の国の人も増えているそうだ。

それは進化するためにそういう人がいる、ということかもしれないし。
今までも太陽期には一部の天使が人々が悪の力に打ち勝つためにアーリマンとなって残り、月期にはやはり一部の天使がルシファーとなって、あこがれ、うぬぼれ、しっととなって、その力に人類が打ち勝てるようにとそこにとどまったそうだ。

それが書いてあるのかどうかは読んでないのでわからないけれど、そういう話を聞いた。

そしていつかは人間が進化して、進化することでそこに残ってくれた天使だった悪に対し恩返しし、さらにはそこにとどまってくれたものを救いだしてあげる、そういうことができるようになるそうだ。

それが鉱物人間、植物的人間、動物的人間という比喩をしたときのイメージになにか助けになるかな?と思って、まとまってないけれど日曜日のノートを要約してみたよ。


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