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わが家に代々伝わる古いアイロン台がおそらくアイロン台史上最高に高級な服をのせてアイロンをかけたと思う土曜日の朝。しかも娘が小さいときに滑り台として遊んで半分に折れたアイロン台。。

朝6時、それまでにチャボ小屋の掃除とめんどうと、朝ご飯と昼ご飯の用意をすませて、洗濯機を二回まわして家族が寝ている間にアイロンをかけにでかけました。

近所でおこなわれるイベントの準備のお手伝い。


一昔以上前、1000坪の展示会場を8000アイテムの商品を並べるという会社に勤めていたとき、年に二回の展示会、ひとまわり3時間以上小売店の人にむけて商品の説明をしたけれど、今回の会場は3坪くらいの暗い倉の中。アイテム数は少ないし、どれもこれも一点ものばかり。

で、とにかく草木染めされた手作りの、ときに手縫いのそれはそれは肌触りの良い布にアイロンをかけていく。
高温で色が変わったら大変、大変。とても緊張する。
染色によってアイロンをかけたときに別の匂いがする。藍葉のものはとくに藍の匂いがむおっとする。


掛けすぎても素材感と衣服のイメージと違ってしまうだろうし、折りジワを取る程度、でもハンガーにかけたときにはその衣服が生きるように。着て欲しい人の目にとまるようにとアイロンする。良いものなのは裏返してアイロンかけているのだからすごくよくわかるのだけれど、値段を聞いたら、そうだな、自分の中での最高に高い身につける買い物、テレマークの革ブーツと同じくらい。あと18年使っているダナーのブーツくらい高い。高くて買う人いるのかな?なんて余計な心配しながらアイロン。


こんな色の変化をよくつけられるなあ。
微妙すぎる。ロックミシンがかかっているのに細いからその風合いが活かされてる。
すごいなあ。
こんなの作れたらいいなあ。
ごわっとした生地のもの。
コチニールかな?紫。
紫も赤もいろいろある。


 
切り替えの風と光をまとったみたいなスカート。

アイロンしたものは鴨居にかけていく。
朝の光が障子から差し込んで、今回、蔵でないところで売れる前の商品ほとんどたくさんこんなに見られたのは世の中で私だけ。とにかくどうやってこの色出すんだろう?という関心と、ここはこうやって縫ってるのか、きれいだなあ。と感心してばかり。


そして3時間近くアイロンをかけた。
これも人生史上初。幼稚園のバザーでもこんなにはアイロンしなかったなあ。みんなで掛けたからそんなに時間はかからなかったし。

そして11時のオープンで私の心配はみごとに吹き飛ぶのであった。



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2014年5月14日 東京新聞29面



汚れを吸着してきれいにするとお風呂や洗濯にクレイを使っていて、これはますます期待できそうな記事。



チャボのヒナが孵りました。
4つの卵のうち一つ。
抱卵するうちにどんどん増える不思議な抱卵でした。時期が一週間以上違うのでどうするのか?と思いましたが、
想像していたとおり、放ったらかしとなりました。
どうしてもヒナの動きにあわせて移動するのでお母さんはそのヒナのそばへ。
卵放ったらかしから半日以上。冷たい。

電球でみてもよくわからない、転がすと同じところでいつも止まる、孵化途中で温めるのをやめた卵はすぐに死んでしまう、と調べたらあったので、中で腐敗すると卵は破裂するので、いま、割りました。
割ってみればそれぞれ別の孵化途中。
これではあす、明後日というより、当分かかりそう、、、
毛の生えたものもありました。ほとんど心臓だけのものもありました。
弱々しいながらも心拍。
でもヒヨコのかたちにはまだまだ、

チャボはこうやって種を存続させるのだなあ、と思いました。
孵った確実なヒヨコを守る。そして自立させる。

動物には自我がないと言います。なので全体の種を保存することが優先で、残りの卵のひとつ、ひとつ、それぞれの命がなんとか、とか他と比べてどうとか、ないのでしょうか。

卵のうちは割ってパンケーキに入れたりできますが、同じ卵でもこうして孵化途中のものを割るのとは同じ気分では割れません。

ましてや、店にパックされた鶏肉とうちのチャボの肉を同じ気持ちでみることもできません。

不思議で勝手なものです。

シュタイナーのヨハネ福音書講義という本があるそうだ。
持ってもないし、読んだこともないのだけれど、

ヨハネ福音書には真のことしか書いてない、つまり余計なことが書いてなくて、ふだん、いかに私が余計な言葉を発して生きているかどうかわかる

という人の話をきいて、興味をもっていた「ヨハネ福音書」
そもそもヨハネ福音書というのがなんだかもわかってない。

聖書の後ろの方に書いてあるらしい。いつか聖書を手に取ることがあったら見てみよう。昔はよくホテルの引き出しに入っていたけど、いまはないなあ。なんで入っていたのだろう??


そのヨハネ福音書の第二講のワークショップ。
なにが書かれているか、についてよりもそこに流れる思想について話をするワークショップ。

全編に流れていのは人間、人類がキリストとかかわり、どのように進んで行くのか、ということが書かれているそうだ。


人間と動物、植物、鉱物のはなしもでた。
これはシュタイナーではよく聞く話で、シュタイナー幼稚園ではアドベント(クリスマス前の4週間)に毎週石、次の週には木の実、その次の週には鳥のはね、がどこかから届き最後の週はクリスマスで日にイエスが誕生する、ような(ちがったかな)行事があった。


人間は 
  1. 自我 自分が自分であること
  2. アストラル体 感情の部分 暑いとか寒いとか、痛いとか気持ち良い、とか
  3. エーテル体 生命力の部分 中国でいうと「気」の部分 自然の法則(生ものが腐る、枯れる、という法則とあらがう力の部分 これがないと人間、夏のたびに冷蔵庫いれないと腐ちゃうし。。)
  4. 肉体 からだのところ
の四つから構成されている、
と考える。

鉱物は4 植物は4と3 動物は4と3と2を持ち 人間が4つの全てをもつ

そこまでは今まで知っていたことだったのだけれど
今回の発見は
鉱物も1、2、3を持っている、という話だったのだ。
え?鉱物が自分がこっちに行きたい、とかこのアスファルト暑いから草むらがいい、とか、思う?っておもったのだけれど
鉱物の3エーテル体は高次の、つまり全体のなかに属している、
というのだ。
全部でまとめて一つ
2も同じ。1も同じ、それらは大きく、全部で一つなのだそうだ。

で植物も2と1があって、それは高次の、つまり全部のなかにある
って。

動物の1自我も精神界にあって、一匹、一頭、一羽づつはもってなくて全部のなかにある
という。それはイメージできる。アリとかは全体で一つのものにむかって働ている。

そして地球はわかるだけで4回生まれかわったのだけれど、
一度目の旧土星期には物質だけ、二度目の旧太陽期はそれとエーテル体、三度目の旧月期にはさらにアストラル体を人間は獲得し、ようやくこの4回目の地球期でやっと人間は自我をもつことになったので、自我はまだ幼く、使い勝手がうまくなくて、本来貫けるはずの自我がアストラル体やエーテル体に自我が負ける時もある。もはや肉体を自我ではどうすることもできない、と言う。
自我はなにをしているのか?と言ったらさまざまな欲求を何とか抑えようとしている。


たとえば
具合がわるくて、自分のことだけを考えるとき
お腹がすいて独り占めしてたべものをたべるとき
低次の自我が働いて、自分だけの満足のために行動する

もっと進化したら、自我がまずはアストラル体に勝て、次にはエーテル体に勝て、ついには肉体をも自我でどうにかなるのだという。

だから人間はみんなが良くなるように、ってそっちをめざしているけれどお腹がすけば遠くの飢饉の子より自分、きれいにみえるように、新しい服が安くて欲しいから、バングラディシュのすごい壊れたようなビルで働いている人たちの服を、そうとは知らずに、そうと知っていても遠いことのように買っておしゃれができる。でも知れば辛いのだと思う。


これは私の考えた比喩的な話だけれど
動物的な人は集団でものを考えるし、
植物レベルなら感情もなく生きられるし、
鉱物レベルならそれすらなく、冷たく生きることができるのだろう
人間としてがんばっているひと、神様みたいなひとがいる一方でそういう人もいるのだろう。


キリストが生まれた頃は地球はかなり荒廃していて、生まれ変われずに死んだら黄泉の国のようなところに行って上がって来られない人がほとんどだったそうだ。
それを生まれ変われるように、ってキリストが地上に降りて来て、復活するまでの3日半の間そこにいって救い出して来たそうだ。

キリストは二度と肉体をもって生まれてはこない、と言われていて、それは一人一人がキリストをあらわす時代で、私の生き方がキリストを表すのだそうだ。


いまはインディゴチルドレンという人がいて、それはもうそういう人が生まれてから30年くらいは経つからその人がさらにお父さん、お母さんになっているそうなんだけれど、そういう進化した人が生まれているそうだ。
何事も陰陽、その反対にシーソーの反対側、また進化しない人、つまり黄泉の国の人も増えているそうだ。

それは進化するためにそういう人がいる、ということかもしれないし。
今までも太陽期には一部の天使が人々が悪の力に打ち勝つためにアーリマンとなって残り、月期にはやはり一部の天使がルシファーとなって、あこがれ、うぬぼれ、しっととなって、その力に人類が打ち勝てるようにとそこにとどまったそうだ。

それが書いてあるのかどうかは読んでないのでわからないけれど、そういう話を聞いた。

そしていつかは人間が進化して、進化することでそこに残ってくれた天使だった悪に対し恩返しし、さらにはそこにとどまってくれたものを救いだしてあげる、そういうことができるようになるそうだ。

それが鉱物人間、植物的人間、動物的人間という比喩をしたときのイメージになにか助けになるかな?と思って、まとまってないけれど日曜日のノートを要約してみたよ。


娘お年頃につき、匂いのついたシャンプーがいいって。それでドラッグストアでオーガニックとか、シリコンフリーと書かれたお試しパックの二回分くらい入ったシャンプーを二種類買ってみた。

私も使ってみたけれど、洗ったそばから毛先があたった皮膚、襟足のところがチクチクする。
よくゆすいだのだけれど。

起きてからも頭がかゆい。

市販のシャンプーで頭がかゆくなる

ってこういうこと書いても風評被害だ、と言われないのは私が有名人でないこともあるけれど、
それは「そういう人もいるのね。大変ね」と読んだ人が特別なんとも思わずに思ってくれるからなんだろうな。

そんなこと書いてけしからん!とは言われないような気がする。
これ読んでそう思う人もいるのかな?


洗剤も匂いがのこったのをかいでいると気分がわるくなる。

これもこういうこと書いても風評被害だ、って言われないよね。

蛍光灯の下とか、配線のところとかけっこうきつい。

これらも「敏感なの」で済む。

それを気のせいだ、とかまわりに聞いたことがない、

って言われるとしたら、それは会話の返事としてはずれてるな。

バイオグラフィーの宿題で育児日記を読み直していたのだけれど、
あのころはガチガチの玄米菜食で、「おでこをぶつけた。メープルを二度もとったからだろう。」「右足を転んですりむく。肉を食べた。中和不足」のようなことも
書いたり思ったりしていた。
それでも信奉していたので年配の親類の人に食べ物の話をしたときに「卵、小麦粉、そば、ごまを食べるとアレルギーを起こす子もいるんですよ」と言ったら聞いた相手が二人もそろって「そんなこと聞いたことがない、それはお母さんの気にし過ぎ、気のせいじゃないの?ねえ〜」と言われてがっかりしたことがある。

そういう事実がある、という話をしたのに、伝わらなくてがっかりした。

という話を売れている作家のように頭をもじゃもじゃしながら書いている。芥川竜之介みたいな髪型。
かゆい。

ちなみに「森のなかま」という松の樹液の石けんだと今は平気。お取り寄せしたオーガニックシャンプーでもその中に、以前オリーブオイルアレルギーになったことがあって、良く読めば小さくオリーブオイルと書いてあってチクチクしたことがあった。

今回はなんだろうな。







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