土曜日は銀座におでかけ。ひさしぶりの顔が揃う日。お昼にぽかりと一人の時間ができて、行きの電車で一緒になったご近所さんに教えてもらった店にさっそく入ってみた。
インドカレーのお店 「自然派インド料理 ナタラジ 銀座店」
どれにしようか値段もしっかりしていて迷ったけれど、カリフフラワーをベースにした甘口のカレーにした。
スパイスがしっかり効いていて、うれしい味。

店の中は女性客が多く、一人で入っている私のような人もいた。年齢は幅広かった。小さな赤ちゃんをつれた家族も2組いた。
お店で使っている野菜を作っている農場の写真も入り口にあった。


このあたりではあまりめずらしくないけれど、都会ではめったにない、どこで作っている人の見えるお店でした。
インドカレーのお店 「自然派インド料理 ナタラジ 銀座店」
どれにしようか値段もしっかりしていて迷ったけれど、カリフフラワーをベースにした甘口のカレーにした。
スパイスがしっかり効いていて、うれしい味。
店の中は女性客が多く、一人で入っている私のような人もいた。年齢は幅広かった。小さな赤ちゃんをつれた家族も2組いた。
お店で使っている野菜を作っている農場の写真も入り口にあった。
このあたりではあまりめずらしくないけれど、都会ではめったにない、どこで作っている人の見えるお店でした。
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小さなうちはすべてに興味があって
雲はなにからできているのだろう?
とか風はどこから吹いてくるのだろう?
などと思う。
それだけで終りにせず、だんだんと「良く観る」「調べる」という作業が加わっていくのが健康的な成長なんだとおもう。
そして21を過ぎたあたりから、ましてはや40にもなれば興味なのか関心なのかをきちんと見極めないとと思う。
芸能人の私生活や事件の背景にある個人的な状況をお茶とおやつを食べながらワイドショーテレビを見ているような「興味」はなるべく減らしていき、「関心」に心をむけたいと思う。
単文投稿サイトやフェイスブックなどのソーシャルネットワークも友達リクエストをするもされるも、
そういうことを思ったりした週末。
それは関心なのか?ただの興味なのか?
と自問自答
何か聞かれて、こちらが丁寧に返事をしてみると相手はたいして、そのあとの反応や変化がなくておや?とかあれ?とおもったり。これは相手が興味をもって聞いて来たものに「関心」だとおもって返事をしてしまうから。
反対に私が投稿されたリンク先をのぞこうとするときに興味なのか、関心なのか?とこころに問えばずいぶんと時間を有効なものにさけるとおもう。
そう思ったしだい。
雲はなにからできているのだろう?
とか風はどこから吹いてくるのだろう?
などと思う。
それだけで終りにせず、だんだんと「良く観る」「調べる」という作業が加わっていくのが健康的な成長なんだとおもう。
そして21を過ぎたあたりから、ましてはや40にもなれば興味なのか関心なのかをきちんと見極めないとと思う。
芸能人の私生活や事件の背景にある個人的な状況をお茶とおやつを食べながらワイドショーテレビを見ているような「興味」はなるべく減らしていき、「関心」に心をむけたいと思う。
単文投稿サイトやフェイスブックなどのソーシャルネットワークも友達リクエストをするもされるも、
そういうことを思ったりした週末。
それは関心なのか?ただの興味なのか?
と自問自答
何か聞かれて、こちらが丁寧に返事をしてみると相手はたいして、そのあとの反応や変化がなくておや?とかあれ?とおもったり。これは相手が興味をもって聞いて来たものに「関心」だとおもって返事をしてしまうから。
反対に私が投稿されたリンク先をのぞこうとするときに興味なのか、関心なのか?とこころに問えばずいぶんと時間を有効なものにさけるとおもう。
そう思ったしだい。
月曜日に搾った醤油。大量に出たもろみの粕。
去年のは普通の大豆と小麦だったためか、口にいれるとほのかに、正月あけの鏡餅を食べたような、仏壇において古くなったすあまのようなほんのりした香りが口にひろがる。
噛むと大豆はなくなるのだけれど、小麦の皮が口に残るからそのままだと溶かして食べるには食べにくい。
今年のは国産で無農薬栽培した丸大豆と小麦をつかった醤油麹。仕込んだときから香りも違うし、
天地返しするときに味見をしても本当においしかった。
そのもったいない良い「もろみ」が大量に余っているのだ。
仕込んだときに24キロあったから、水分と塩分を含んでいま、その位の量がある。
どんな味かというと、塩気はまだある。ちょっと知らない国に行って出されたその地方特有の味噌という味だろうか。
醤油とは違う香り。
そのままだと「おいしい?おいしくない?」と質問されて
「うん、食べられる」という返事が返って来そうな味。
たぶん、醤油工場では産業廃棄物だと思う。でも元々脱脂大豆とか、そんなので作っているからそれを食べようとは思わないかもしれないけれど。
近所のおばあさんに聞いたら庭にまいていたよ、と言っていた。適度なミネラルが良い肥やしになったのだとおもう。
去年のはそれでも搾り師の方に言われた通り乾燥させたら一年はもつ、といわれてOMの地下点検口からダクトの真下に置いてからからに乾燥させて取ってある。カビの一つもでずにまだある。
昨年は干さずに漬け床にして大根をつけてみたり 塩加減はよかったけれどあまりおいしくなかった
チャボにやったり、でもあまり食べなかった。
搾り師の方は野菜炒めにすると言っていたけれどちょっとそんな風味では去年のはなかった。
ベーシックな使い方は「ふりかけ」ご飯にかけてたべる。
でも何十年食べてもきっとなくならない、それくらいある。
今日は蒸しパンに入れてみた。
材料
もちろん、「醤油もろみ粕」を適当に入れて
小麦粉 1カップ
重曹 小さじ半分
もろみ水 1カップ弱(もろみをお茶パックにいれて水につけてほのかに塩味をだしてみた水)
油 大さじ1ちょい
甘み 大さじ1ちょい 今回はアガベシロップ
干しぶどう ひとつかみ(これを入れるともろみか、干しぶどうか食べるまでわからない(クククっ)
最後に酢で、重曹の苦味を中和
重曹は水分とあわさるとすぐに泡泡するので蒸篭(今回はダッチオーブンにざる)はシュンシュンと沸騰させて用意しておくこと
で、まぜて蒸した
見た目はチョコチップ入っているみたいだけど、しょっぱい。もっと味を普通に甘くして隠せばいけそう
。しかし、それだとなんのために入れるのかよくわからないか。
去年のは普通の大豆と小麦だったためか、口にいれるとほのかに、正月あけの鏡餅を食べたような、仏壇において古くなったすあまのようなほんのりした香りが口にひろがる。
噛むと大豆はなくなるのだけれど、小麦の皮が口に残るからそのままだと溶かして食べるには食べにくい。
今年のは国産で無農薬栽培した丸大豆と小麦をつかった醤油麹。仕込んだときから香りも違うし、
天地返しするときに味見をしても本当においしかった。
そのもったいない良い「もろみ」が大量に余っているのだ。
仕込んだときに24キロあったから、水分と塩分を含んでいま、その位の量がある。
どんな味かというと、塩気はまだある。ちょっと知らない国に行って出されたその地方特有の味噌という味だろうか。
醤油とは違う香り。
そのままだと「おいしい?おいしくない?」と質問されて
「うん、食べられる」という返事が返って来そうな味。
たぶん、醤油工場では産業廃棄物だと思う。でも元々脱脂大豆とか、そんなので作っているからそれを食べようとは思わないかもしれないけれど。
近所のおばあさんに聞いたら庭にまいていたよ、と言っていた。適度なミネラルが良い肥やしになったのだとおもう。
去年のはそれでも搾り師の方に言われた通り乾燥させたら一年はもつ、といわれてOMの地下点検口からダクトの真下に置いてからからに乾燥させて取ってある。カビの一つもでずにまだある。
昨年は干さずに漬け床にして大根をつけてみたり 塩加減はよかったけれどあまりおいしくなかった
チャボにやったり、でもあまり食べなかった。
搾り師の方は野菜炒めにすると言っていたけれどちょっとそんな風味では去年のはなかった。
ベーシックな使い方は「ふりかけ」ご飯にかけてたべる。
でも何十年食べてもきっとなくならない、それくらいある。
今日は蒸しパンに入れてみた。
材料
もちろん、「醤油もろみ粕」を適当に入れて
小麦粉 1カップ
重曹 小さじ半分
もろみ水 1カップ弱(もろみをお茶パックにいれて水につけてほのかに塩味をだしてみた水)
油 大さじ1ちょい
甘み 大さじ1ちょい 今回はアガベシロップ
干しぶどう ひとつかみ(これを入れるともろみか、干しぶどうか食べるまでわからない(クククっ)
最後に酢で、重曹の苦味を中和
重曹は水分とあわさるとすぐに泡泡するので蒸篭(今回はダッチオーブンにざる)はシュンシュンと沸騰させて用意しておくこと
で、まぜて蒸した
見た目はチョコチップ入っているみたいだけど、しょっぱい。もっと味を普通に甘くして隠せばいけそう
ニューヨークに住むマクロビオティックの先生が近所で九星気学と料理教室をする。
慈々の邸(じじのいえ)での料理教室ちょっと気になったのでその人のブログやホームページをのぞいてみた。
野田清美さんホームページ
清美さんのブログをみたら、九星気学の説明があって、私の去年の状況を総括したかのようにピタリとした文章にもであった。
私は以前、2008年にマクロビオティックの教室でマクロの九星気学の講座を受講したことがある。そのときのノートをみかえしてみた。
先日2月3日の節分で終わった去年のできごとや役割がピタリとはまる。
昨年の途中にもノートを見返して、そのときの現状を確認していたはずだけれど、4日の立春で年が変わって新しい年になったので、その時とは違った心持ちでよく見返すことができる。
立春が年のはじめだってのが体感でよくわかる。なんだか先週と今週では心持ちがまったく別ものな気がする。
このごろ新しい仕事を始める友達や豊富めいたものを宣言する知り合いをフェイズブックの投稿やツイッターで見るけれど、やはりこの季節特有の空気感がそうさせるのだと思う。私もjimdoのブログが更新できなくてほったらかしても良いのに、こうして新しいブログを作ってなにやら書いている。
庭の土はもうどこもかしこも「ほこほこ」していくら空気が冷たくても冬なんてちっとも思えない。
すこし土を掘ったらツクシの子がすっかりツクシの形になって顔を出す準備していた、のですぐに埋め戻した。
今年は九星気学でいうと、ぐるっと9つの星を巡ってうまれた自分の星回りにすとんと戻る年。
去年は自分とはまったく違う役まわりで本当に目がまわったけれど今年はちょっとらしく落ち着けるはず。
九星気学は植物の一生に例えるとわかりやすい。ちょうど9年かけて種の状態で土のなかにあった種からから少し芽が出て、双葉がでて、成長をはじめ茎が伸び葉がでて、実り、熟し、ふたたび播き、撒いたとおりの花がさきわ〜とはしゃいで、そしてまた種としてじっくり今までのことを内省し、これからの9年を見通すとしになる。
これは占いというより、法則なんだと思う。
冬のあとにはあたたかな春が来て夏が来て秋がきて冬がくる。
寒い冬のあとに秋がくるかもしれないと思うより、春がくるのだとわかっている方がずっと力強いのと同じ。力になるのだって思う。
わかっていたり、知っていると見通しがついて落ち着くことが私にはとても多い。
だからこの九星気学の法則を知っていてよかったな、って思う。
そんなことを思っていたら、ポストに友達から手紙。なかに九星気学に触れた文章があって、
あらあら、どこまで遠くに何度引っ越してもやっぱり友達だ、って思った朝でした。
慈々の邸(じじのいえ)での料理教室ちょっと気になったのでその人のブログやホームページをのぞいてみた。
野田清美さんホームページ
清美さんのブログをみたら、九星気学の説明があって、私の去年の状況を総括したかのようにピタリとした文章にもであった。
私は以前、2008年にマクロビオティックの教室でマクロの九星気学の講座を受講したことがある。そのときのノートをみかえしてみた。
先日2月3日の節分で終わった去年のできごとや役割がピタリとはまる。
昨年の途中にもノートを見返して、そのときの現状を確認していたはずだけれど、4日の立春で年が変わって新しい年になったので、その時とは違った心持ちでよく見返すことができる。
立春が年のはじめだってのが体感でよくわかる。なんだか先週と今週では心持ちがまったく別ものな気がする。
このごろ新しい仕事を始める友達や豊富めいたものを宣言する知り合いをフェイズブックの投稿やツイッターで見るけれど、やはりこの季節特有の空気感がそうさせるのだと思う。私もjimdoのブログが更新できなくてほったらかしても良いのに、こうして新しいブログを作ってなにやら書いている。
庭の土はもうどこもかしこも「ほこほこ」していくら空気が冷たくても冬なんてちっとも思えない。
すこし土を掘ったらツクシの子がすっかりツクシの形になって顔を出す準備していた、のですぐに埋め戻した。
今年は九星気学でいうと、ぐるっと9つの星を巡ってうまれた自分の星回りにすとんと戻る年。
去年は自分とはまったく違う役まわりで本当に目がまわったけれど今年はちょっとらしく落ち着けるはず。
九星気学は植物の一生に例えるとわかりやすい。ちょうど9年かけて種の状態で土のなかにあった種からから少し芽が出て、双葉がでて、成長をはじめ茎が伸び葉がでて、実り、熟し、ふたたび播き、撒いたとおりの花がさきわ〜とはしゃいで、そしてまた種としてじっくり今までのことを内省し、これからの9年を見通すとしになる。
これは占いというより、法則なんだと思う。
冬のあとにはあたたかな春が来て夏が来て秋がきて冬がくる。
寒い冬のあとに秋がくるかもしれないと思うより、春がくるのだとわかっている方がずっと力強いのと同じ。力になるのだって思う。
わかっていたり、知っていると見通しがついて落ち着くことが私にはとても多い。
だからこの九星気学の法則を知っていてよかったな、って思う。
そんなことを思っていたら、ポストに友達から手紙。なかに九星気学に触れた文章があって、
あらあら、どこまで遠くに何度引っ越してもやっぱり友達だ、って思った朝でした。
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